『ボサノヴァ 撃たれたピアニスト』死者と生者の対話

 夫が8年前にタンザニアで急逝してしまったときには、亡くなった人はどこに行ってしまうのだろうということばかり考えていた気がする。『ボサノヴァ 撃たれたピアニスト』という映画を観て、死者は生者に呼びかける力がある、なぜなら彼らがいたからこそ我々は生きているのだから、ということが改めてずしんと感じられた気がする。

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<予備知識なしでこの映画を見たいという方にはこの後、ネタバレが含まれているであろうからご注意あれ>

 スペインで作られた大人向けアニメーションの映画で、ブラジルの早逝した天才型のピアニスト、テノーリオ ジュニオルという実在したピアニストの消息を追う話。現代のアメリカ人のジャーナリスト(架空の人物)が、レコードから流れてきたテノーリオのピアノに惹かれ、その足跡を多くの実在の人物へのインタビューによって追うという半分ドキュメンタリーのストーリー。ちょうど1960年代から1970年代の南米にクーデターなどで軍事独裁政権がバンバンできた時(アメリカ主導と言われている)、1976年にアルゼンチンのブエノスアイレスでブラジルの音楽家たちと行ったツアーの千秋楽があった後、、夜中にサンドイッチ(薬かタバコかもしれない)を買いに行き、そのまま戻ってこなかった。政治活動には関わってなかったとインタビューされた人たちは言う。音楽のことばかり考えていた人間だと。
 軍事政権が少しでも不審と思った人は無実でもどんどん捕まえ、拷問し、処刑していた時代だった。ブラジルからたまたまツアーできていただけだったのに。のちに彼も捕まって撃たれて殺されたと証言する軍部関係者が出てくるのだった。

 1960年は「アフリカの年」とも呼ばれている。アフリカの17ヵ国が植民地から独立し、脱植民地が進んだ年なのだ。その後もタンガニーカ、ウガンダ、ケニアなどが続々と独立していくのだけれど、南米では逆に軍事独裁政権が(「反共」を掲げる欧米の思惑によって)作られていった時代だったんだね。。

 映画の想像の余地を残したアーティスティックなアニメーションもとてもいい。南国の景色や、ジャズバーの鮮やかな賑やかさ、農村で、山羊が窓から家の中を覗いたりするのどかな光景など、アニメーションでこその広がりがあり、リオやブエノスアイレスの現在と過去、音楽と歴史を映し出してくれる。言語も英語、ポルトガル語、スペイン語が飛び交う。

 一つ一つの音楽をもっとじっくり聴きたかった気持ちもあるけれど、ライブ感のあるアニメーションととてもよく合っていた。最初の頃の、高級ホテルでのショーを終えたエラ フィッツジェラルドが、舞台衣装のまま履いていたハイヒールを両手に抱えて裸足で、いそいそと、リオの人々が集うクラブ「ボトルズ」のステージに飛び入りするシーンなど、本気で音楽を楽しんでいる人たちの嬉々としたエネルギーがこちらにも伝わってきてハイになる。

 テノーリオのしなやかで滑らかで胸の奥底を撫でていくようなピアノ演奏も、そこで彼が弾いているように思えて、とてもよかった。

 彼が捕えられてから、撃たれて殺されるまで、何日間かあったそうで、その間のこと、その間の彼の心境を思うと、胸がギューっと締め付けられる。あまりにも理不尽な死。インタビューされた人たちのほとんどは、彼のピアノの才能、音楽の才能をとても惜しんでいた。しかし、テノーリオのように当時、軍事政権によってアルゼンチンで「強制失踪」させられた人々は3万人にも及ぶと言われている。ほとんどの人はテノーリオのように遺体も見つかっていない。

 映画を見ていて、テノーリオをはじめ、「強制失踪」させられた多くの人々がこの映画制作を呼び起こしたのかもしれないと思えてきた。彼らはちゃんと生きていたのだと。ちゃんと覚えていてほしいと。そして残された人々の心の中、記憶の中、歴史の中で生き続けているのだと。涙が出る。




 Spotifyでこの映画を彩った楽曲のうち、18曲を聴くことができる。https://t.co/SY4xg3masf


 

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