本人のいない誕生日

 本日、3月18日は、タンザニアで63歳で逝ってしまった夫の誕生日。記念日とかには頓着しなさそうな人だったけど、自分の誕生日にはけっこうこだわりがあったみたいだ。

 夫が亡くなった年、1月半ばに義父が急に入院し、仕事が詰まっていて動けない夫の代わりにわたしがタンザニアから日本戻った。それまでは93歳の義父は社会人と大学生の二人の孫と暮らしていたのだが、急に足腰が立たなくなり、お医者さんによると脳梗塞じゃないかということで、入院することになったのだった。退院してからも、自宅で暮らすのは難しいだろうということで、義父も納得し、わたしはその後、義父が暮らせそうなホーム探しをしていた。いくつか候補が見つかり、最終的に決めたホームと契約するところまで行ったときに、義父が一時的に意識不明となってしまった。意識はすぐに戻ったのだが、このままホームで暮らすのは無理だろうということで、引き続き入院を続けることになった。義父の意識不明にびっくりして、夫に連絡取った日の次の日だった。今度は、夫が仕事中に急に意識不明になったのは。。ダルエスサラームで入院し、その夜中に息を引き取ってしまったのだった。心臓疾患だった。それが2017年2月24日のこと。

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 義父のホーム入居が決まりそうになったことを夫に報告したとき、わたしに「タンザニアに誕生日までには、戻れるよね」と言っていたことを覚えている。その誕生日には本人はもういなくなってしまっていたけれども。

 生きていれば幾つになったかな、なんてことは考えないようにしてるけど、誕生日というのは、ずっと変わらないその人が生まれた日で、その人がこの世に生まれてきた、生きていた、ということを記念する日でもあるのだから、大切な日なのだと思う。

 わたしは死後の世界は信じていないので、夫にはもう会えないと思っている。滅多に夢にも出てこないし(たまに見る夢でも連絡が取れないところにいたり、何やら機嫌をそこねていたり。。というなんだかなーという夢ばかり)。でも魂はきっとあるだろうから、いろんなしがらみから解き放たれた魂が、キラキラと光るインド洋の上を自由闊達に飛び回っているんじゃないかと思っている。

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