パリの地下鉄の助っ人
到着した4月半ばのパリは夏日なのだった!半袖やノースリーブの人々が嬉々として街を散策していて、ジェラート屋の前には長い行列ができていた。

パリには全部で7泊したのだけど、太陽サンサンの夏日はこの1日だけで、あとはだいたい曇りや小雨降る肌寒い日が多かった。ここの人々が陽の光を待ち焦がれていることが、その間にちょっとだけわかった気がした。カフェに外の席が多いのはやはり太陽が恋しいからなのでは。印象派の絵画が誕生したのも、陽の光がとてもありがたいものだったからなのでは。

パリの街は綺麗とは言い難かった。もちろん、風格のある建物たちが、ででーんと立ち並ぶ街並みには歴史とちょっとした威厳と落ち着きを感じるけれど、道路にはゴミがけっこう落ちてるし、犬の落とし物があったりもするし、でっかい文字を殴り書きしたようなストリートアートをそんじょそこらで見かけるし、アンモニア臭のする一角にもときどき遭遇するのだった。今の東京の”清潔さ”との違いがかなりある。。

そして朝など歩道の端っこで寝ている人も見かけたし、昼間も道の端に座って”物乞い”をしている人たちもときどき見かけた。

地下鉄にまでストリートアート!(いつどうやって描くのだろう?)
カフェはやたらあるけど、コンビニは一軒も見かけなかった。
日曜日は商店もみんな閉まる。お休みを大事にするっていいことだよね。レストランは営業してるけれど。パン屋は日曜日には順番を決めて営業することになっているそうだ。フランスの人にとって焼きたてパンは毎日必要なものなのね。
お店に入る時には必ず「ボンジュール」と挨拶しながら入り、何も買わずとも出る時には「メルシー、Au revoir(さようなら)」などと言うのだと娘に教わった。入店時にはお店の人と目が合い、微笑み合うことが多いし、お店の人もちゃんと挨拶を返してくれるのは、いい習慣だなと思った。「それは店の人がどんなお客が来ているか、確かめたいのと、ちゃんとあなたのことを見ているよ、という一種の危機管理でもあるんじゃないか」と言う人もいたけど、でも、だとしても、挨拶を交わすっていいことだと思う。

バラの花いっぱいの花屋さん、ケニアからの(もしかしてタンザニアも?)も置いてあるのでは?
移動は公共交通機関で、娘が先導してくれた。地下鉄によく乗った。娘が地下鉄やバスなどの乗車に使えるカードを用意しておいてくれて、改札でそれを所定の場所にかざして通過するのだが、その先にドアや金属のバーがあり、ドアの場合は自動に開いてくれるけど、金属バーは自力で押さないと先に進めないのだった。今回、一番最初に地下鉄に乗った時、慣れた娘は先に改札を通ってしまい、ぼんやりしているわたしは、その仕草を見ていなくて、カードをかざした後に、バーを押さねばならぬと気づかず、自動に開いてくれるものと思い、しばらく立ったまま待ってた。先に入った娘に「バーを押して」と言われた時には、もう期限が過ぎてしまったらしく、バーはテコでも動かぬ存在になっていた。。
慌てて再度かざしても、かざした部分に×印が出て、バーはもちろん動かない。隣の改札でやってみても同じ結果に。周りに駅員もいないし、窓口もない。どうしよー、とウロウロしてたら、後から来たアフリカ系のアラフォーくらいの男性が、「ぼくの前に立って一緒に入ればいいよ」という仕草をしてくれたので、言葉に甘えて、無事通過!通過した後、「メルシー」と言ったときには、彼はもうスタスタと先に進んでしまっていたのだった。カッコいい。
地下鉄やバスやトラムなどの乗客の約半数は、いわゆる「白人」以外の、アフリカ系やアジア系の人々が多かった。特に地下鉄ではそう感じた。自分もアジア人だし、なんだかいろんな人が混じり合ってる安心感、居心地の良さがあった。(とはいえ、地下鉄では日本語で「スリにご注意」などというアナウンスがされることもあり、パリ在住の知人も被害にあったことがあると言ってたので注意するに越したことはない)

地下鉄のホーム
トラムの中でもわたしが眼鏡(老眼鏡!)をポケットに入れてたら、はみ出していたらしく、後ろの座席の同年代くらいのアジア系の女性に「ポケットにメガネ入れたらあかん」(フランス語を娘が訳してくれた)と繰り返し言われたりもした。親切にありがとう。そうよねえ、落としたり、割れたりしたらいけないもんねえ。

トラム(パリのではないですが、フランスの)
娘の大学のある街から娘と別れて列車でパリに戻ってきたとき、グーグルで調べたところ、初めていくホテルへは列車の駅から10分以上歩いたバス停から出るバスに乗るのだといいうことだった。大きなスーツケース(娘が日本から持ってきて欲しいという彼女の衣類や食料品などを詰める必要があったため)をガタガタと石畳の上を引きずり、道に迷いながら、バス停をやっと見つける。バスの番号は合ってるけど、ほんまにここから出るバスが”オデオン”という停留所に行くんかいな?とまだ安心できず、バス停にいたヨーロッパ系のわたしよりもちょっと歳上みたいなおじさんに英語でそのことを尋ねてみたら、おじさんは、バス停留所にあった路線図を見てオデオンという文字を見つけ、ニッコリ微笑んでくれた。そしてバスが来た後、先に乗った彼はバスの運転手さんにもそれをわざわざ尋ねてくれ「オデオン、行くから大丈夫」とだめ押しまでしてくれるのだった。ありがたい!そのおじさんはわたしより先に降りたけど、降りるときにも笑顔で挨拶してくれたので心込めて「メルシー」を送った。

空港へ行く列車
パリを出発するとき、列車で空港まで行った。乗り場に行くのにスーツケースを抱える身に階段しかない場合も多く、ヘロヘロで列車の前までたどり着いたら、目の前でドアが閉まってしまった。「ありゃまあ」という顔をしていたのだろう、それを見た列車の中にいたこれまたアフリカ系の男性がすぐにドアのボタン(ボタンによって開閉するドアなのだ)を押してくれたが、間に合わず、列車は発車。去り際にその男性は残念だねえという苦笑いをわたしに返してくれた。
いろんな人々がいることによって、醸し出される居心地の良さがあるんじゃないかと感じるパリなのだった。

パリには全部で7泊したのだけど、太陽サンサンの夏日はこの1日だけで、あとはだいたい曇りや小雨降る肌寒い日が多かった。ここの人々が陽の光を待ち焦がれていることが、その間にちょっとだけわかった気がした。カフェに外の席が多いのはやはり太陽が恋しいからなのでは。印象派の絵画が誕生したのも、陽の光がとてもありがたいものだったからなのでは。

パリの街は綺麗とは言い難かった。もちろん、風格のある建物たちが、ででーんと立ち並ぶ街並みには歴史とちょっとした威厳と落ち着きを感じるけれど、道路にはゴミがけっこう落ちてるし、犬の落とし物があったりもするし、でっかい文字を殴り書きしたようなストリートアートをそんじょそこらで見かけるし、アンモニア臭のする一角にもときどき遭遇するのだった。今の東京の”清潔さ”との違いがかなりある。。

そして朝など歩道の端っこで寝ている人も見かけたし、昼間も道の端に座って”物乞い”をしている人たちもときどき見かけた。

地下鉄にまでストリートアート!(いつどうやって描くのだろう?)
カフェはやたらあるけど、コンビニは一軒も見かけなかった。
日曜日は商店もみんな閉まる。お休みを大事にするっていいことだよね。レストランは営業してるけれど。パン屋は日曜日には順番を決めて営業することになっているそうだ。フランスの人にとって焼きたてパンは毎日必要なものなのね。
お店に入る時には必ず「ボンジュール」と挨拶しながら入り、何も買わずとも出る時には「メルシー、Au revoir(さようなら)」などと言うのだと娘に教わった。入店時にはお店の人と目が合い、微笑み合うことが多いし、お店の人もちゃんと挨拶を返してくれるのは、いい習慣だなと思った。「それは店の人がどんなお客が来ているか、確かめたいのと、ちゃんとあなたのことを見ているよ、という一種の危機管理でもあるんじゃないか」と言う人もいたけど、でも、だとしても、挨拶を交わすっていいことだと思う。

バラの花いっぱいの花屋さん、ケニアからの(もしかしてタンザニアも?)も置いてあるのでは?
移動は公共交通機関で、娘が先導してくれた。地下鉄によく乗った。娘が地下鉄やバスなどの乗車に使えるカードを用意しておいてくれて、改札でそれを所定の場所にかざして通過するのだが、その先にドアや金属のバーがあり、ドアの場合は自動に開いてくれるけど、金属バーは自力で押さないと先に進めないのだった。今回、一番最初に地下鉄に乗った時、慣れた娘は先に改札を通ってしまい、ぼんやりしているわたしは、その仕草を見ていなくて、カードをかざした後に、バーを押さねばならぬと気づかず、自動に開いてくれるものと思い、しばらく立ったまま待ってた。先に入った娘に「バーを押して」と言われた時には、もう期限が過ぎてしまったらしく、バーはテコでも動かぬ存在になっていた。。
慌てて再度かざしても、かざした部分に×印が出て、バーはもちろん動かない。隣の改札でやってみても同じ結果に。周りに駅員もいないし、窓口もない。どうしよー、とウロウロしてたら、後から来たアフリカ系のアラフォーくらいの男性が、「ぼくの前に立って一緒に入ればいいよ」という仕草をしてくれたので、言葉に甘えて、無事通過!通過した後、「メルシー」と言ったときには、彼はもうスタスタと先に進んでしまっていたのだった。カッコいい。
地下鉄やバスやトラムなどの乗客の約半数は、いわゆる「白人」以外の、アフリカ系やアジア系の人々が多かった。特に地下鉄ではそう感じた。自分もアジア人だし、なんだかいろんな人が混じり合ってる安心感、居心地の良さがあった。(とはいえ、地下鉄では日本語で「スリにご注意」などというアナウンスがされることもあり、パリ在住の知人も被害にあったことがあると言ってたので注意するに越したことはない)

地下鉄のホーム
トラムの中でもわたしが眼鏡(老眼鏡!)をポケットに入れてたら、はみ出していたらしく、後ろの座席の同年代くらいのアジア系の女性に「ポケットにメガネ入れたらあかん」(フランス語を娘が訳してくれた)と繰り返し言われたりもした。親切にありがとう。そうよねえ、落としたり、割れたりしたらいけないもんねえ。

トラム(パリのではないですが、フランスの)
娘の大学のある街から娘と別れて列車でパリに戻ってきたとき、グーグルで調べたところ、初めていくホテルへは列車の駅から10分以上歩いたバス停から出るバスに乗るのだといいうことだった。大きなスーツケース(娘が日本から持ってきて欲しいという彼女の衣類や食料品などを詰める必要があったため)をガタガタと石畳の上を引きずり、道に迷いながら、バス停をやっと見つける。バスの番号は合ってるけど、ほんまにここから出るバスが”オデオン”という停留所に行くんかいな?とまだ安心できず、バス停にいたヨーロッパ系のわたしよりもちょっと歳上みたいなおじさんに英語でそのことを尋ねてみたら、おじさんは、バス停留所にあった路線図を見てオデオンという文字を見つけ、ニッコリ微笑んでくれた。そしてバスが来た後、先に乗った彼はバスの運転手さんにもそれをわざわざ尋ねてくれ「オデオン、行くから大丈夫」とだめ押しまでしてくれるのだった。ありがたい!そのおじさんはわたしより先に降りたけど、降りるときにも笑顔で挨拶してくれたので心込めて「メルシー」を送った。

空港へ行く列車
パリを出発するとき、列車で空港まで行った。乗り場に行くのにスーツケースを抱える身に階段しかない場合も多く、ヘロヘロで列車の前までたどり着いたら、目の前でドアが閉まってしまった。「ありゃまあ」という顔をしていたのだろう、それを見た列車の中にいたこれまたアフリカ系の男性がすぐにドアのボタン(ボタンによって開閉するドアなのだ)を押してくれたが、間に合わず、列車は発車。去り際にその男性は残念だねえという苦笑いをわたしに返してくれた。
いろんな人々がいることによって、醸し出される居心地の良さがあるんじゃないかと感じるパリなのだった。
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