「わたしはザンジバリ」
タンザニア人知人のCさんが夕食に招いてくれるという。今はダルエスサラーム在住だけど、ザンジバル出身の人だ。
前もって「何が食べたい?」と聞かれたので「ビリヤニ!」と元気に答えてしまった。
わたしと同じ年(1961年)生まれの彼女の夫は、しばらく調子を崩していて入退院を繰り返していたのだけど、2ヶ月前に旅立ってしまった。彼は、豪快で明るく、お料理の上手な人だったので、元気に「ビリヤニ!」と答えてしまったことを後悔した。。
伺うと、テーブルの上には、チキンとビーフの両方のビリヤニと、チキンとポテトの煮物、揚げパンのマンダジなどがたっぷりと並んでいた。ビリヤニはお料理上手な親戚が腕を振るってくれたという。煮物は自家製、マンダジはお手伝いさんと一緒にCさんが作り、揚げたのもCさん。こんがりといい色合いに揚がってる。ビリヤニは大きめのチキンやビーフが入った大ご馳走である。
彼女の夫がいつもいた場所にいない寂しさを感じたけれど、彼の写真にご挨拶して、感謝しながら大ご馳走をありがたくいただく。
シナモンやカルダモン、クミン入りの芳しい香りのソースを相性の良い”香り米”でもあるバスマティライスに絡ませると至福の味わい。このソースをシナモン風味のほんのり甘いマンダジですくって食べても美味しいことを発見。
食事をしながら、7年前にタンザニアで逝った我が夫が、ダルエスサラーム大学院で歴史、インド洋西海域史を専攻していたという話から、Cさんの出身の話になる。彼女自身はザンジバル生まれなのだが、父はソマリ系だという。母は東アラビアのバハラニの人だそうで、オマーン、ザンジバルと移動してきたのだとか。父がどこで生まれ、どう移動してきたかは、聞きそびれたけど、ザンジバルでは獣医をしていたという。
まさにインド洋を跨いだ話で、夫が生きていたら興味津々だったのでは、と思った。
Cさんの肌色は、わたしと同じペールオレンジ系だけど、今もザンジバルに住んでいるすぐ上の姉の肌色はかなり黒いのだという。父と母の肌色が違ったからだ。並んでいると姉妹と思われないときもあったとか。「おもしろいよねえ」と彼女は言う。
「あなたの民族は何なのか」と人に聞かれることもあるというが、「わたしはザンジバリ(ザンジバル人)よ」と答えるのだと。いろんな豊かな背景を持ったザンジバル人なのだと。
いろんなスパイスが混じりあって味わい深くなるビリヤニのように、ザンジバル人と胸を張れる彼女と、彼女の中に広がる世界を羨ましく感じた。
ひと足さきに旅立ってしまったCさんの夫は、父はインド(今はパキスタン)からタンザニアに仕事で来た人で、母はタンザニア人だったという。だから二人の子どもたちは、さらに多くの背景を持って生まれてきた。彼らの中に広がる世界はいかに。きっと国境なんてぴょんと飛び越えちゃうんだろう。
前もって「何が食べたい?」と聞かれたので「ビリヤニ!」と元気に答えてしまった。
わたしと同じ年(1961年)生まれの彼女の夫は、しばらく調子を崩していて入退院を繰り返していたのだけど、2ヶ月前に旅立ってしまった。彼は、豪快で明るく、お料理の上手な人だったので、元気に「ビリヤニ!」と答えてしまったことを後悔した。。
伺うと、テーブルの上には、チキンとビーフの両方のビリヤニと、チキンとポテトの煮物、揚げパンのマンダジなどがたっぷりと並んでいた。ビリヤニはお料理上手な親戚が腕を振るってくれたという。煮物は自家製、マンダジはお手伝いさんと一緒にCさんが作り、揚げたのもCさん。こんがりといい色合いに揚がってる。ビリヤニは大きめのチキンやビーフが入った大ご馳走である。
彼女の夫がいつもいた場所にいない寂しさを感じたけれど、彼の写真にご挨拶して、感謝しながら大ご馳走をありがたくいただく。
シナモンやカルダモン、クミン入りの芳しい香りのソースを相性の良い”香り米”でもあるバスマティライスに絡ませると至福の味わい。このソースをシナモン風味のほんのり甘いマンダジですくって食べても美味しいことを発見。
食事をしながら、7年前にタンザニアで逝った我が夫が、ダルエスサラーム大学院で歴史、インド洋西海域史を専攻していたという話から、Cさんの出身の話になる。彼女自身はザンジバル生まれなのだが、父はソマリ系だという。母は東アラビアのバハラニの人だそうで、オマーン、ザンジバルと移動してきたのだとか。父がどこで生まれ、どう移動してきたかは、聞きそびれたけど、ザンジバルでは獣医をしていたという。
まさにインド洋を跨いだ話で、夫が生きていたら興味津々だったのでは、と思った。
Cさんの肌色は、わたしと同じペールオレンジ系だけど、今もザンジバルに住んでいるすぐ上の姉の肌色はかなり黒いのだという。父と母の肌色が違ったからだ。並んでいると姉妹と思われないときもあったとか。「おもしろいよねえ」と彼女は言う。
「あなたの民族は何なのか」と人に聞かれることもあるというが、「わたしはザンジバリ(ザンジバル人)よ」と答えるのだと。いろんな豊かな背景を持ったザンジバル人なのだと。
いろんなスパイスが混じりあって味わい深くなるビリヤニのように、ザンジバル人と胸を張れる彼女と、彼女の中に広がる世界を羨ましく感じた。
ひと足さきに旅立ってしまったCさんの夫は、父はインド(今はパキスタン)からタンザニアに仕事で来た人で、母はタンザニア人だったという。だから二人の子どもたちは、さらに多くの背景を持って生まれてきた。彼らの中に広がる世界はいかに。きっと国境なんてぴょんと飛び越えちゃうんだろう。
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