キガンボーニのヤギおじさん
ダルエスサラームの街中の対岸にあるキガンボーニ地区に住むタンザニア人の絵描きさんに聞いた話。
キガンボーニは街中からフェリーで5分という近距離で、近年人口がかなり増えているというけれども、フェリーを降りて、バジャジ(三輪オートタクシー)に乗って進む海沿いの道は、未だ渋滞しらずだし、道路沿いは緑で溢れてる。馬車ならぬロバ車とすれ違うこともある。海も美しいし静かだし、大都会ダルエスサラームのシティセンターから訪れるととてもホッとする和む場所でもある。

キガンボーニの道をバジャジで行く
以下は絵描きさんに聞いた話+わたしの感想。
(絵描きさんの)友人のタンザニア人Aさんは、海の近くの穏やかな環境に惹かれて出身地の北部アルーシャからキガンボーニにやってきた。そこで事業を始め、成功を収めた。歳の頃は50代後半だったのではないか。 Aさんは週末などに、絵描きさんをはじめ、キガンボーニで知り合った人々を焼肉屋さんに呼んで、ヤギ肉やビールを振る舞ってくれることがよくあった。自分はほとんど食べずに、うまそうに食べている人々を嬉しそうに眺めていたそうだが、自分の母語、民族語で何かつぶやいてもいたそうだ。
周りにいる人々は、Aさんの言葉はわからないので、そのまま旺盛に楽しく飲み食いしていた。
あとで絵描きさんは、Aさんが母語でつぶやいてた意味を知るのだけど、それは
「俺がみんなに奢ってやってるんだ。ヤギ肉もビールも俺のお金で俺がご馳走してやってるんだ。俺のおかげだ」
ってことだったのだって。
みんなのわかるスワヒリ語で言うと、盛り上がってる気分に水をさすだろうから、心の声を母語でつぶやいていたんだろうね、と絵描きさんは言う。
みんなに楽しんでもらいたいと心から思ってるし、喜んでるみんなを見ているのは嬉しい、だけど、「俺のおかげだぜ」って言いたい気持ちも抑えきれない。言葉の意味は通じなくても、その心意気を汲み取って欲しかったのかもしれないと思うと、わたしは、Aさんがとてもいじらしく人間らしくキュートな人に思えてくるのだった。
その楽しいヤギ肉宴会は幾度もあったそうだけど、Aさんは急な病気で帰らぬ人になってしまったのだと。
絵描きさんはしみじみと「もうあの集まりがないと思うと寂しいよ」と言うのだった。

キガンボーニの海
そのおじさんの面影を(全くの想像で)浮かべながら、そのおじさんにほんのりとした好意を持ってしまうのだった。もうこの世にはいない人、生前一度も会ったことのない人なのに、話を聞いただけなのに、その人となりが印象に残ったり、なんとなく懐かしく感じたりするような出会いがあるんだね。人生の不思議を感じてる。
キガンボーニは街中からフェリーで5分という近距離で、近年人口がかなり増えているというけれども、フェリーを降りて、バジャジ(三輪オートタクシー)に乗って進む海沿いの道は、未だ渋滞しらずだし、道路沿いは緑で溢れてる。馬車ならぬロバ車とすれ違うこともある。海も美しいし静かだし、大都会ダルエスサラームのシティセンターから訪れるととてもホッとする和む場所でもある。

キガンボーニの道をバジャジで行く
以下は絵描きさんに聞いた話+わたしの感想。
(絵描きさんの)友人のタンザニア人Aさんは、海の近くの穏やかな環境に惹かれて出身地の北部アルーシャからキガンボーニにやってきた。そこで事業を始め、成功を収めた。歳の頃は50代後半だったのではないか。 Aさんは週末などに、絵描きさんをはじめ、キガンボーニで知り合った人々を焼肉屋さんに呼んで、ヤギ肉やビールを振る舞ってくれることがよくあった。自分はほとんど食べずに、うまそうに食べている人々を嬉しそうに眺めていたそうだが、自分の母語、民族語で何かつぶやいてもいたそうだ。
周りにいる人々は、Aさんの言葉はわからないので、そのまま旺盛に楽しく飲み食いしていた。
あとで絵描きさんは、Aさんが母語でつぶやいてた意味を知るのだけど、それは
「俺がみんなに奢ってやってるんだ。ヤギ肉もビールも俺のお金で俺がご馳走してやってるんだ。俺のおかげだ」
ってことだったのだって。
みんなのわかるスワヒリ語で言うと、盛り上がってる気分に水をさすだろうから、心の声を母語でつぶやいていたんだろうね、と絵描きさんは言う。
みんなに楽しんでもらいたいと心から思ってるし、喜んでるみんなを見ているのは嬉しい、だけど、「俺のおかげだぜ」って言いたい気持ちも抑えきれない。言葉の意味は通じなくても、その心意気を汲み取って欲しかったのかもしれないと思うと、わたしは、Aさんがとてもいじらしく人間らしくキュートな人に思えてくるのだった。
その楽しいヤギ肉宴会は幾度もあったそうだけど、Aさんは急な病気で帰らぬ人になってしまったのだと。
絵描きさんはしみじみと「もうあの集まりがないと思うと寂しいよ」と言うのだった。

キガンボーニの海
そのおじさんの面影を(全くの想像で)浮かべながら、そのおじさんにほんのりとした好意を持ってしまうのだった。もうこの世にはいない人、生前一度も会ったことのない人なのに、話を聞いただけなのに、その人となりが印象に残ったり、なんとなく懐かしく感じたりするような出会いがあるんだね。人生の不思議を感じてる。
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