キリマンジャロに見守られて眠るアーサーさん
アフリカ最高峰のキリマンジャロは雲に隠れていることが多く、なかなかその美しい姿を見せてくれない。
先週木曜日に急に旅立ってしまったJATAツアーズで20年以上も一緒に仕事をしてきたドライバーのアーサー(Arthur)さんの葬儀の日には雲を押し退けて輝く姿を現してくれた。山もこの人は見守らなきゃと思ったのだろう。

Photo courtesy of Mr.Nasssor
アーサー(Arthur)さんはふくよかで温和な人で、安定感のある運転で彼をご指名のお客さんも多かった。

JATAツアーズのWebsiteより
タンザニア各地を巡る日本の研究者の方たちのお供をすることも多かった。運転技術はもちろんのこと、物腰柔らかく丁寧で、そして大の子ども好きなので、彼らが訪ねてゆく村々でも愛される人物なのだった。


2010年キリマンジャロ州ムワンガ県の村にて:2枚とも池野旬さん提供
わたしのタンザニア生まれの子どもたちもアーサーさんのお世話になった。サッカー好きの息子はタンザニアやイギリスのプレミアリーグのサッカーチームの話をよく一緒にして楽しかったと言っていた。
夫やわたしと一緒に長旅したこともあった。このブログでも記した2016年の「タンザニア北半一周!3600㎞の旅」の運転手はアーサーさんだった。いろいろあったけどとても楽しい旅だった。
JATAツアーズの仕事が順調となり運転手たちの恰幅も良くなっていったことは喜びの一つだったけれども、アーサーさんのふくよかさはもう少し絞られても良かったのかもしれないと今になって思う。もう遅いのだけど。
高血圧と糖尿病があった。普段から「健康のためにホワイトミートしか食べない」など気をつけてはいたようだったのだけれど。
先週、水曜日まで日本から来たお客さんの仕事をしていた。翌朝、急に体調が悪くなり、仕事を他の運転手に代わってもらった。彼の兄が駆けつけて一緒に病院へ行ったけれども、病院では治療の術はないと言われ、家に帰ったところ、息を引き取ってしまったというのだ。原因はわからないままだ。
先日、会った時にはいつもと変わりがなく元気そうに見えたのに。。
1966年5月生まれの56歳。早すぎるよ。
誰かがこの世から突然いなくなってしまう。昨日までいた人に明日からは会えなくなる。突然のお別れ。心の準備もできやしない。でも時は戻ってはくれないし、止まってもくれない。夫をなくしたときのことを思い出す。
タンザニアでは60歳前後で(特に男性で)急に亡くなる人が多い気がする。。
日曜日のダルエスサラームでの葬儀では200人以上の人が集まって、昼食が振る舞われ、牧師さん(女性だった)のお話の後、車で故郷のキリマンジャロ州サンヤジューに向かうアーサーさんを見送った。JATAツアーズの歴代の運転手たちも参列してさながら同窓会のようでもあった。

ダルエスサラームでの葬儀に集まった人々
故郷での葬儀も青空の下、大勢の人々に見守られてアーサーさんは眠りについた。大勢の人が駆けつけたのは、彼がダルエスサラームでも故郷でも人々に愛されていたからだろう。

故郷での葬儀で別れを惜しむ人々Photo courtesy of Mr.Nassor
彼の4人の子どものうち、3人は成人しているけれど、一番下の女の子はまだ小学3年生だ。彼女の成長を見守りたかっただろう。その願いを生きているわたしたちは受け止めていかないと、と思う。
キリマンジャロに守られながらどうぞ安らかにお眠りください。会えて嬉しかった。一緒の時間をありがとう。でも寂しいよ。
先週木曜日に急に旅立ってしまったJATAツアーズで20年以上も一緒に仕事をしてきたドライバーのアーサー(Arthur)さんの葬儀の日には雲を押し退けて輝く姿を現してくれた。山もこの人は見守らなきゃと思ったのだろう。

Photo courtesy of Mr.Nasssor
アーサー(Arthur)さんはふくよかで温和な人で、安定感のある運転で彼をご指名のお客さんも多かった。

JATAツアーズのWebsiteより
タンザニア各地を巡る日本の研究者の方たちのお供をすることも多かった。運転技術はもちろんのこと、物腰柔らかく丁寧で、そして大の子ども好きなので、彼らが訪ねてゆく村々でも愛される人物なのだった。
2010年キリマンジャロ州ムワンガ県の村にて:2枚とも池野旬さん提供
わたしのタンザニア生まれの子どもたちもアーサーさんのお世話になった。サッカー好きの息子はタンザニアやイギリスのプレミアリーグのサッカーチームの話をよく一緒にして楽しかったと言っていた。
夫やわたしと一緒に長旅したこともあった。このブログでも記した2016年の「タンザニア北半一周!3600㎞の旅」の運転手はアーサーさんだった。いろいろあったけどとても楽しい旅だった。
JATAツアーズの仕事が順調となり運転手たちの恰幅も良くなっていったことは喜びの一つだったけれども、アーサーさんのふくよかさはもう少し絞られても良かったのかもしれないと今になって思う。もう遅いのだけど。
高血圧と糖尿病があった。普段から「健康のためにホワイトミートしか食べない」など気をつけてはいたようだったのだけれど。
先週、水曜日まで日本から来たお客さんの仕事をしていた。翌朝、急に体調が悪くなり、仕事を他の運転手に代わってもらった。彼の兄が駆けつけて一緒に病院へ行ったけれども、病院では治療の術はないと言われ、家に帰ったところ、息を引き取ってしまったというのだ。原因はわからないままだ。
先日、会った時にはいつもと変わりがなく元気そうに見えたのに。。
1966年5月生まれの56歳。早すぎるよ。
誰かがこの世から突然いなくなってしまう。昨日までいた人に明日からは会えなくなる。突然のお別れ。心の準備もできやしない。でも時は戻ってはくれないし、止まってもくれない。夫をなくしたときのことを思い出す。
タンザニアでは60歳前後で(特に男性で)急に亡くなる人が多い気がする。。
日曜日のダルエスサラームでの葬儀では200人以上の人が集まって、昼食が振る舞われ、牧師さん(女性だった)のお話の後、車で故郷のキリマンジャロ州サンヤジューに向かうアーサーさんを見送った。JATAツアーズの歴代の運転手たちも参列してさながら同窓会のようでもあった。

ダルエスサラームでの葬儀に集まった人々
故郷での葬儀も青空の下、大勢の人々に見守られてアーサーさんは眠りについた。大勢の人が駆けつけたのは、彼がダルエスサラームでも故郷でも人々に愛されていたからだろう。

故郷での葬儀で別れを惜しむ人々Photo courtesy of Mr.Nassor
彼の4人の子どものうち、3人は成人しているけれど、一番下の女の子はまだ小学3年生だ。彼女の成長を見守りたかっただろう。その願いを生きているわたしたちは受け止めていかないと、と思う。
キリマンジャロに守られながらどうぞ安らかにお眠りください。会えて嬉しかった。一緒の時間をありがとう。でも寂しいよ。
この記事へのコメント
深くてあたたかなメッセージをどうもありがとうございます。
きっと心の中にもいてくれると思うので、その姿を胸にポレポレと歩んでいければなあと思っています。また信子さんともいろいろな思い出話ができるといいなあ。