アフリカから物事を見る、見ようとすること

 夫、根本利通の5回目の命日の2月24日にロシアがウクライナに侵攻した。ショックが大きく、思いが交錯してブログが、なかなか書けなかった。

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 もうすっかり成人している子どもたちとお墓参り(夫はお墓にはいないで、インド洋あたりにいるとは思うのだけど)をしたことをフェイスブックで報告したら、「今だからこそ根本さんがいたら何を言うか、聞いてみたい、話をしてみたい」というコメントをいくつもいただいた。ありがたい。わたしも折につけて、夫ならなんというだろうと考えることがある。
  
 夫もプーチン大統領の蛮行と言えるロシアのウクライナへの軍事侵略にNOと突きつけるのはもちろんだろう。全軍事行動の即時停止を、というだろう。全ての戦争に反対しているというのは大前提の上で。

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 『スワヒリ世界をつくった「海の市民たち」』という夫の遺稿を友人たちがまとめてくれた本が2020年に出版されたのだが、そのお祝いに夫の大学の仲間たちが花とともに送ってくれたカードにはこうあった。

「鳥の目をおさえつつ、虫の目・魚の目・蝙蝠の目を大切にしつづけた根本さんらしい一冊です」

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 元々夫と出会ったのは、日本の南アフリカの反アパルトヘイト運動の市民グループで、だった。わたしが参加した80年代半ば頃には、夫はすでにダルエスサラーム大学の大学院に留学していたので、初めて夫に会ったのは、日本でなく、タンザニアのダルエスサラームで、だった。

 高校まで歴史の鬼、またはオタクのように同級生からも思われてきた夫は、予備校でアフリカの歴史を熱く語る教員に出会い、それまでアフリカの歴史を全く知らなかった、知らされてこなかったということに愕然としたそうだ。そこにも人々がいた、長い歴史があったはずなのに。欧米視点の歴史ではなく、アフリカの地でアフリカの人々の中で歴史を見つめたいと、ダルエスサラーム大学に留学した。

 プーチンのロシア軍による蛮行はウクライナの原子力発電所を攻撃するまでに常軌を逸していて、恐怖を感じる。
 だが、悲しいかな、これまでもずっと世界が平和だったことはなかった。アフリカ、中東、アジアでの戦争、紛争もこんなに大きく取り上げられてきたただろうか。住んでいた土地を奪われたのにもかかわらず、ずっと喧嘩両成敗のように報道され続けてきたパレスチナは?ほとんど報道もされていない西サハラは?
 
 2月25日付のBBCスワヒリ語ニュースの東アフリカルーツと思われるジャーナリストの記事「ロシアとウクライナ:ウクライナの戦争がアフリカに与える影響について調べる」※1 にはこんな文章があった。

 ”Kihistoria, maisha ya watu wa Ulaya huwa na thamani kuliko ya Waafrika au kwingine duniani na hili litafanya jitihada zote za masuala ya haki za binadamu, njaa, ulinzi na usalama kuangalia kwenye eneo hilo la Bahari Nyeusi.”
 歴史上、ヨーロッパの人々の生活(生命)は、アフリカやその他の地域の人々よりも価値があるので、この黒海地域に焦点を当てた人権、飢餓、安全保障などにあらゆる努力が払われるだろう。

 そして、実際、世の中はそのように動いてしまっている。

 ウクライナから避難するアフリカ人たちが越境を拒まれたり、列の後ろに回されるなどの差別を受けているという報道が多くあげられていることから、アフリカ連合は「人種差別的」と非難した。「人種的アイデンティティにかかわらず戦争から逃れるすべての人々に同じ共感と支援を示すように促します」と。※2

 日本政府もウクライナの難民を受け入れると表明した。それはいいことだ。ならば他のヨーロッパ以外の紛争地から来た人々も難民条約に則って受け入れていくべきではないか。日本の難民認定率はとても低いままだ。全ての人の命の重さは同じではないのか。これを機にその方向に進むことを強く願う。
 
 そして夫なら「国家」とその中の人々、そこに住む人々をイコールにしてはならないのだとはっきりと言うだろう。まず人々ありきの国家であり、国家が先に生まれたわけではないのだから。国民の選んだ人が国の代表でその期待を担うことにもなるはずだけれど、アメリカでもトランプ大統領が生まれてしまったくらい、うまくいってはいない。非常時には国家はその都合で国民に犠牲を強いることも起きてしまうのだ。

 一昨日の国連総会でロシアを非難する決議が賛成多数で採択されたが、棄権35カ国の中にアフリカの国が17カ国もあり、タンザニアも入っていたが、ここでも国家とそこに属する人々をいっしょくたにしてはならないだろう。
 
 ケニアの国連大使の国連安全保障理事会での、「ロシアのウクライナへの軍事侵攻は(植民地化されてきた)我々の歴史と重なる」とする演説が話題となった。※3(これも”国家””政府”の見解の一つで、アフリカの”国家たち”全体の意見ではないだろうけれども)今回のロシア政府のやり方にNOを突きつけるだけでなく、今までの”小国”の紛争、戦争には及び腰だった国連をも批判していた。(ケニアはロシア非難決議に賛成票を投じている)
 「(勝手に引かれた国境線を受け入れることを選んだが)それに満足しているからではなく、平和の中で築かれるより偉大な何かを求めたからだ」という一節もあった。「平和の中で築かれるより偉大な何か(We wanted something greater forged in peace)」という言葉、パン・アフリカ主義を指しているのだろうか。


 2003年に出版された家島彦一さん著の『イブン・バットゥータの世界大旅行  14世紀イスラームの時空を生きる』(平凡社新書)という30年にわたって現在のほぼ50カ国(現在のタンザニアのキルワにも来ている)を旅した大旅行家に関する本がある。夫の本だ。ほぼ同時代のヨーロッパの旅行家、マルコ ポーロを知る人は多いだろうけれども、モロッコの港町タンジールで生まれたイブン バットゥータを知る人は日本ではそう多くないのではないか(わたしもタンザニアに行くまでは知らなかった)。ここでもどの視点からの情報が多く入ってきているかという歪みが見える気がする。 この本の「はじめに」にこんな文章がある。

「二一世紀に入り、グローバル化、情報化がますます進行する一方、特定の国家による軍事的・政治的支配や経済の囲い込みが強まっているが、そうした中で、我々は近代国家という枠組みを再検討し、多文化主義や文化交叉の問題を問わねばならない時代にきている」 
 ほぼ20年前に書かれたものとは思えない。
 そこからなぜイブン バットゥータが長年にわたって旅を続けることができたのかという話につながってゆくのだが。
 
 国家という枠組みを超えて為政者ではなく、市民(庶民)がつながってゆくことの大切さを改めて感じている。それがきっと平和につながる。言うほど簡単なことではないかもしれないけど、それは我々次第だろう。

 そして、欧米側からだけはない、さまざまな場所、立場からの視点を持つことの大切さと。

 世界中の紛争、戦争で命を落とした人々に哀悼の意を。そしてこれ以上の犠牲を何としても防ぎたいという意志を持ち、できることをしていこう。

 夫もそう言うはずだと思っている。
 


※1:「Urusi na Ukraine: Zijue athari za vita ya Ukraine kwa Afrika」 https://www.bbc.com/swahili/habari-60525214

(筆者:すでに新型コロナワクチンのアフリカなどへの不公平な分配にもそれは表れていたが)

※2:https://www.theeastafrican.co.ke/tea/news/east-africa/african-union-ukraine-war-3732862

※3:https://www.youtube.com/watch?v=_GmExlbsyOw&t=160s

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