ケニアの村で☆1988

 タンザニアからの引っ越し荷物(荷物が届いたのは一昨年、2019年の6月なれど、まだ片付けが終わってない💦)を整理していたら、なつかしい写真が出てきた。かなりお気に入りだった写真だ。

 1988年1月にわたしの初めてアフリカの旅で撮ったもの。

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 成田発のパキスタン航空でケニアのナイロビから入った。その3日後にはこのケニア山麓の緑豊かなキャラガナ村にいた。日本で知り合ったケニア人ムアンギさん(ケニアからの初の国費留学生!現在は四国学院大学教員)の故郷の村。「アフリカ行きた~い!」と言ってたわたしに「これを弟のところに運んでくれたら泊めてもらえるよ」とラジカセを手渡してくれたのがムアンギさんだった。

 ラジカセ効果か!?ナイロビまで弟のムゴさんが迎えに来てくれて、キャラガナ村へ。妻と3歳からもうすぐ中学生までの子ども5人と共に暮らすムゴさんの家でとてもお世話になった。

 晴れた日にはケニア山が見えた。コーヒーやお茶、トウモロコシ、バナナとケニア山の麓まで緑の畑が連なる。朝晩はセーターが必要なほど涼しい。当時は電気はまだ通ってなかったけど(ラジカセは電池で聴く)、満天の星が瞬く夜、子どもたちはランプの光で勉強していた。

 ギクユの人々の村なので、道端ですれ違う時の挨拶もギクユ語だ。Niatiaと声かけられたらNikuegaと応えると当時のメモノートにある。
 
 ムゴさん一家はもちろん、そのきょうだい親戚、村人たちもとても親切にしてくれて、常にだれかがそばにいてくれる状態だった。ただ遊びに行っただけだったのに、わたしはなぜだか村の教育事情を調査しに来たことになっていて、毎日のように学校などに連れて行ってもらっていた。(うれしい経験だったので誤解を解かずにちゃっかりお世話に。。)
 村の小学校の高学年のクラスの子どもから英語で「広島には第二次世界大戦中に原爆が落とされましたが、今は広島はどうなっていますか」という質問を受けて、とてもびっくりしたことを覚えている。質問を受けたわたしの方があたふたしてしまった。

 さて、お気に入りの写真の話。

 村の診療所に勤めていたムゴさんのお兄さんに用事があったある日のこと。まだ診療中でしばらく終わりそうになかったので、診療所の建物のそばでボケーっとしながら座っていた。目の前を通り過ぎる女の人に思わず「Niatia」と挨拶したら、彼女は「Kuja(おいでよ)」とわたしをすぐ近くにある彼女の店に誘ってくれた。積まれた瓶入り炭酸飲料のケースがででんとおいてあるような飾り気のない店だ。彼女はHILANDというケニア産のソーダを手に取るとわたしに勧め、かたわらで編み物を始めた。お金を払うとわたしが言うと、彼女は「あなたは遠いところから来たお客さんなんだから、そういう人をもてなすのはわたしたちの役目なのよ」と言うのだった。

 この写真は後日その彼女の店に遊びに行ったときに撮ったのだろう。彼女とわたしの間にいるのはムゴさんの子どものうちの下から二人で、言葉はあんまり通じなかったけど、彼らにもほんと、仲良くしてもらった。男性のことはよく覚えてないなあ。でも、昼下がりの陽ざしにみんな、優しく包まれている。

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