『ちむぐりさ』とアマンドラ

 『ちむぐりさ』ー沖縄の言葉で、「あなたが悲しいとわたしも悲しい」「誰かの悲しみを自分の悲しみとして一緒に胸を痛めること」という意味だという。

 それは、1月19日のブログで取り上げた本『菜の花の沖縄日記』のドキュメンタリー映画版の題名となっている。(共通語として使われている)日本語にも同じ意味の言葉があるといいのに。

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 菜の花さんの実家は石川県の珠洲市で湯宿をやっている。3月に娘と菜の花さんに会いに行った。「さか本」という、なんと「おもてなし・なし」を標榜するお宿なのだ。部屋に電話もテレビもない。けれど、新鮮な空気の満ちた木々に囲まれた和の家は落ち着きと開放感があり、地元の魚や野菜を使ったお父さんの作るお料理はどれもこの上なくおいしい(お酒がすすんじゃう)。竹林を眺めながらお風呂に浸かるとこころもふんわり広がってゆく。
 菜の花さんはきびきびと実家を手伝っていた。

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右下の写真は笑顔がすてきな菜の花さんとご両親。また是非訪れたい。いろいろ感謝。

 娘とわたしはタンザニアに長く住んでいて、わたしは以前、反アパルトヘイト運動にも関わっていたという話をすると菜の花さんは「アマンドラの意味はなんでしょうか」と尋ねてきた。菜の花さんが沖縄で通っていたフリースクール珊瑚舎スコーレでは南アフリカのアパルトヘイトの抵抗の象徴の歌「コシシケレリアフリカ」(神よアフリカに祝福あれ)を「アフリカ」を「沖縄」におきかえて歌っていたとのこと。反アパルトヘイトのスローガン「アマンドラ:Amandla」(意味は、Power:パワー)とともに。※

 その時に映画『ちむりぐさ』が3月末から東京でも上映されると菜の花さんから聞いて、楽しみにしていたのだけど、新型コロナがだんだんと幅を利かせてきて、二の足を踏んでしまっていた。

 それが6月23日の沖縄の慰霊の日を記念しての3日間だけのオンライン配信があり、映画を通して、家にいながらにして沖縄と菜の花さんに会うことができた。(今後、東京のポレポレ中野はじめ、まだまだ各地で上映予定⇒公式HP

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 沖縄の人々の”あかるさ”に惹かれた15歳の菜の花さんが、自分で決めて沖縄のフリースクールに入るために実家のある能登から旅立ち、那覇にあるフリースクール珊瑚舎スコーレに入学するところから始まる。(自分で決めて一人で行くということろがすごい。学費や生活費は奨学金や沖縄料理店のアルバイトで賄っていたそうだ。送り出すご両親もすごいけどね)



 淡々としたドキュメンタリーかと思っていた。けれど、沖縄の太陽や月や花や緑や空や海の美しさや吹く風の匂いまでが伝わってきそうな映像に、沖縄出身の俳優、津嘉山正種さんによるナレーションはやさしく謡うようで、沖縄に自分の場を求めて行った、柔らかな感性の菜の花さんと一緒に観ているわたしも沖縄と人々に出会ってゆく気持ちになっていった。
 
 みずみずしい文章が語り掛ける本『菜の花の沖縄日記』もとてもいい。けれど、映画のすごさはまた別にある。菜の花さんのたたずまいや視線、戦争で学校に行けず、今珊瑚舎の夜間中学に通うおじい、おばあの生き生きとした表情や言葉や、建物のすぐ上を爆音で飛ぶオスプレイなどが迫ってくるのだ。菜の花さんは多くの沖縄の人々に出会い、その話に真剣に向き合う。沖縄の「戦争」はまだまだ終わってないと感じていく。
 日本政府による構造的な差別も見えてくる。沖縄の人々が”あかるい”のには訳があることも。

 菜の花さんのすごいところは、自分が沖縄にとってはマジョリティーのヤマトンチュー=加害者側だと自覚してゆくこと。自覚しながら沖縄の人々と接し、自分自身に常に問いかけていくところだと思う。

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菜の花さん、湯屋「さか本」の前で

 映画の中で翁長前知事が沖縄言葉で言っていた「ウチナンチューをないがしろにしてはいけない」という言葉は、まさにBlack Lives Matterと同じ。映画の中から沖縄の人々が菜の花さんを通じてわたしたちに問いかけている。ヤマトンチューは沖縄の人々の民意を、命を本当に大切に思っているのかと。

 珊瑚舎スコーレで「コシシケレリ」を歌うシーンもあった。

 我が娘も彼女の住処で映画を観て、感想を伝えてきた。
「菜の花さんに触発される。自分も考えることをやめないように生きていかないと」って。

 



※「アマンドラ(Amandla=Power)!」という呼びかけには「アウェトゥ(Awetu=To the People)」と応える。人々に、我らに力を!

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