ザンジバルの不思議なトゥンバトゥ島☆その2

 シェハによるとトゥンバトゥ島にはジョンゴウェとゴマニという二つの村があり、それぞれ5,000人以上の人びと(ゴマニは10,000人以上)が住んでいるそうだ。このシェハがいるのはジョンゴウェ村だ。わたしたちが上陸したのもジョンゴウェ村だ。

画像
ジョンゴウェ村の海岸で遊ぶ村の子どもたち


 そしてわたしたちの訪問した前日の12月27日がジョンゴウェ村の年に一度のマウリディというお祭りの日だったそうだ。島の外にいる村人たちも戻ってきていたという。だから、船着き場で船待ちの人びとがたくさんいたんだね。具体的にどんなことをするお祭りなのかはちょっとわからなかったけど、その翌日のわたしたちの行った28日は今度はもうひとつのゴマニ村のマウリディの日なのだそうだ。だから水の供給もゴマニ村優先にしているから、ジョンゴウェ村の水道からは水が出てないのだって。イスラーム暦によって日付は移動するので、毎年すこしずつお祭りの日は動いてゆくそうだ。

画像
船を待つ人々


 漁業を生業としている村人たちが多く、船に乗ってダルエスサラームやタンガなどまで漁に行く人々もいるのだとか。もちろん近くの海で獲っている人たちもいて、対岸のムココトーニの魚市場で売ったりもしているそうだ。
島外から来ている漁師たちのキャンプのある浜辺もあった。
 農業も村人たちの生業のひとつだと言っていたけれども。

画像
漁師たちのキャンプ


 小中学校は各村に一つずつあるそうだ。中学校まであるのはいいね。

 シェハの家には、雨水を貯める樋がついていた。畑の植物(キャッサバ?)には網の覆いがしてあり、それは山羊に食べられないように、なんだそうだ。家の前のスツールに置かれたお盆には細長いなすが並んでた。売り物のようだ。
 きちんと丁寧に生活している人に思える。

画像
雨水を貯める
画像
畑の覆い

画像
シェハとなすび

 
 シェハにお別れを言い、来た道をてくてく戻っていたら、シェハが走ってやってきた。わたしが彼女の家に忘れた帽子を届けてくれたのだ。申し訳ない。けど、良い人だったなあ。トゥンバトゥ島の印象がますます明るくなる。

 このあと、13世紀初頭にアラブのほうからやって来たというユスフ・アブドゥラが統治した時代にできたというスルタンの住居跡の遺跡(だいぶ崩れ気味)や、少し離れた場所にある保存状態のいいモスクの遺跡(海のそばにあってなかなかフォトジェニック!)に立ち寄って、島を後にした。約2時間半ほどの短い滞在でちょっと物足りななかったかな。結局、珍しい椰子もなかったけど、不思議な島の一辺が覗けたかな、と思ってたらおまけがあった。

画像
スルタンの住居跡

画像
遺跡に牛がいた

画像
海沿いのモスクの遺跡





画像
島とお別れ


 島を後にし、ムココトーニに着いたら、カスタネットの重厚版のような木を打ち付ける音と男たちの雄たけびのような歌声が聴こえてきた。音のする方に行ってみると集まったイスラームの正装の男たちが、かなり盛り上がった状態で奏でているのだった。キレンバと呼ばれる真っ白なターバンを巻いている人が多い。リュックなどの荷物を抱えたまま大声を出している人たちもいる。なんて言っているのかはよくわからなかったけど、これからトゥンバトゥ島に行く人たちなのだった。その日にお祭りがあるゴマニ村の人びとなのだろう。黒いブイブイ姿の女たちは日陰に集まって男たちの様子を見ていた。

画像

画像


 最初はおっかなびっくり写真を撮ってたわたしだけど、旗のひらめく様子が撮りたくて、
歌い終わって、モスクのほうへ歩いていく人々の前に躍り出て写真を撮ってた。
 その列の後ろのほうを歩いていた夫は
「あの人は写真撮ってるけど、お金払ってくれるのかな」
と話しかけられていたらしい。
でもそのうちに
「これからトゥンバトゥ島へ戻るんだ。あんたも一緒に行こうよ」
と、熱く語りかけられるようになったそうだ。島に戻るうれしい心が抑えられなくなってきたのかな。

画像


 きっと夜になにかがありそうだね。汽船のような大型船もでていたので、かなりの人数が戻るのだろう。

画像
ゴマニ村に向かう大きな船。モスクの遺跡から撮影


 心と体が躍るようなお祭りなんだろうか。気になる。不思議なトゥンバトゥ島なのだった。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック