ティンガティンガ その2☆元祖E.S.ティンガティンガ

 ワークショップ(工房)内に所狭しと飾られたこのティンガティンガ派絵画たち!うわっーとしたエネルギーが感じられるでしょう?

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 ティンガティンガ派絵画とはタンザニア南部のルブマ州のナカパンニャ(Nakapanya)村で生まれたエドワード・サィディ・ティンガティンガ(以下E.S.ティンガティンガ:1932~1972)がはじめた絵画の手法である。動物をこれでもか、というくらいデフォルメして描かれたカラフルなペンキ画である。彼の生まれたあたりでは、ときどき野生動物(ライオンとかも!)出没することがあるらしいけど、ぜんぜん写実的ではない。

 ティンガティンガ派絵画の解説本『TINGATINGA The Popular Paintings From Tanzania』(タンザニアからの大衆画、ティンガティンガ:Yves Goscinny 著)に書かれているE.S.ティンガティンガの伝記を読んだり、最後の直弟子であるムゼー・アモンデに師匠の思い出を聞くにつけ、E.S.ティンガティンガというひとは、なんて面倒見がよく、好奇心とバイタリティーとそして楽しい自信にあふれている人だったんだろうと思う。きっと生きていることが大好きなひとだったんだろう。
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 まるでハリウッド映画になってもおかしくないような人生だと思ってしまう。両親がなくなった後は弟や妹を養うためにタンガ州のサイザル麻の畑に出稼ぎに行く。いとこを頼ってダルエスサラームに出てきてからは、庭師などの仕事をしながらも、ダンスグループに加わって、踊りの才能を発揮したりもしていたそうだ。そして、もっと自分にできる仕事はないかと求め続けていくのである。つねに立ち止まらないひとだったようだ。
 病院の職員として得た仕事が夜間の仕事だったので、昼間にできる仕事はないかと考えて、見つけたのが「絵を描くこと」だったらしい。

 前出の本によると現在のサモラアベニューのあたりのおみやげ物屋で売られていたコンゴ人の描いた絵が結構、観光客たちに売れているのに気づいたE.S.ティンガティンガは「なんでタンザニア人が描かないのだ!なんでオレが描かないのだ!」と思いを強くしたそうだ。
 これならオレにも描ける!と思ってしまえて、すぐに実行に移すのがかれのすごいところだ。
 さっそく最低限の画材、ペンキや筆、キャンバスのかわりの天井板などをそろえ、「売るための絵」を描き始めた。

 それがティンガティンガ派絵画のはじまりであったということだ。

 その絵が特に外国人に評判になり、現在のティンガティンガ村のあるモロゴロストアのあたりで売り始めたそうだ。売れ行きも順調になり、忙しくなった彼は自分の周りの者たちに営業などをさせるだけでなく、自分の絵画の手法を伝えていったのだ。わたしは、この辺がすごくタンザニア的だよなあ、おもしろいなあって思う。まあ、もともとおみやげ物用の絵ということで、たとえば、ゴッホなどとは絵を描くということに対する志が違っていたのだろうけど、ひとりじめしない、周りの人たちと分け合う、っていうところがすこぶるタンザニア(アフリカ)的で、よいなあって感じてしまう。
 そのおかげで今、東アフリカ界隈では、かなり多くのひとたちが、ティンガティンガ派(または風?)の絵を描いてごはんを食べていけているのだろうから。

 海外輸出の販路もできて、これからというときにE.S.ティンガティンガは不慮の事故で亡くなってしまう。
(たぶん気分よく)いとこと飲みにいった夜のことであった。1972年の5月であった。

 初の海外でのティンガティンガ展がロンドンで開かれたのは、その年の12月だったそうだ。

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